定年後は楽しい「60プラス」
写真集
ロシア世界遺産9日間の旅 長浜盆梅展 福井県立恐竜博物館 秋に咲く桜
イギリス紀行8日間の旅 沖縄4日間の旅  アメリカ西海岸8日間の旅 北海道4日間の旅


沖縄4日間の旅

暖かさを求めて、沖縄をレンタカーで訪ねる

平成24年1月5日から4日間、沖縄を旅行しました。


主な旅行日程

日にち 観    光    先
1日目 中部国際空港→那覇→ホテル「日航アリビラ」
2日目 ホテル→美ら海水族館古宇利大橋→万座毛→琉球村→ホテル「日航アリビラ」
3日目 ホテル→座喜味城跡→海中道路ロードパーク→ゴザゲート通り→道の駅「かなで」
→アメリカンビレッジ→首里城玉陵(たまうどうん)龍譚→国際通り→ホテル「ロコアナハ」
4日目 ホテル→旧海軍司令部斎場御嶽→玉泉洞→平和記念公園ひめゆりの塔→那覇空港→中部国際空港

一月初めだから暖かいとはいえないが、さすがに過ごしやすい。
その上、どこにいても少し車で走れば海を見ることができるのは最高です。
そして新鮮な魚が当たり前であり、かつ景観は青く美しい

沖縄の史跡を見て分かった事は、1609年に島津藩が琉球に侵入しなかったら沖縄は中国に属していたかもしれないと思いました。

それは当時の琉球王国は当然ながら日本より大国である中国に関心があり、顔は日本には向いていなかったからです。
仮に中国の一部であったならば、日本と中国との関係は現在の姿とかなり異なったものになったのでしょうか。

琉球王国は、日本内地でいえば皇室いわば王室に相当するのでしょうが、皇室とはかなり異なりどちらかというとヨーロッパの王室のようにかなり大きな権力を有していたと思われます。
それは、首里城、玉陵、斎場御嶽を見学して感じました。

琉球王国時代には文字がなかったということを知りました。
中国との接触から漢字は入ってきたが、日本のように独自の文字は発達しなかったようです。
でもそれは考えてみれば当然とも思えます。
それは、当時の人口が日本と比べて非常に少なく数十万人程度なら文字が発達する状況ではなかったと思われるからです。

このため漢字を知らない一般庶民の伝達方法は口伝しかなく、これは文化の発展に大きな支障になったのではないかと思います。

旅行をしているとあちこちに具志堅とか仲宗根とか名字と地名が同じところがあったのはおもしろいと思いました。



観光先の写真

ホテル「日航アリビラ」

JTBのホームページで利用者のアンケート調査から評判が高く、沖縄の島内を移動する拠点として都合がよいこのホテルを選びました。

部屋の中は、特に記するほどでもないが、海岸に面した裏庭の景色は素晴らしい。

ホテルの庭園の夜景

夕方沖縄着の飛行機であったので、ホテルに着いた時は既に暗くなっていました。

夕食後、散策したホテルの裏庭はイルミネーションが輝き、私たちを喜んで迎えてくれているようでした。

ホテルから海岸を見る

朝の海岸に面した景色は沖縄らしい美しさが感じられました。

一月初めというのに、名古屋と違って寒さは殆ど感じられません。

美ら海水族館


巨大なジンベイザメやマンタが遊泳する姿は圧巻。

さすが沖縄です・
珊瑚が多く見られるようになっており、大いに楽しませてくれました。

古宇利大橋


美ら海水族館から30分位走ると古宇利島があります。
その島と沖縄本島とをつなぐ橋が古宇利大橋。

この橋は2005年から開通だが、橋を走って見渡せる珊瑚の海が美しく、観光客に人気があるといわれています。

ゴザゲート


ゴザとは「沖縄市」の旧名。

この町を訪れたのは、嘉手納基地の近くにあり、アメリカ文化が沖縄文化と混在しているだろうとの期待があったからです。

1月7日の昼間というせいか特に目立った光景もありませんでした。

玉陵(たまうどうん)


首里城の入り口の近くにある王家の陵墓。

墓室は3室あり、60柱の王族の遺骨があるという。

首里城は勿論、玉陵、斎場御嶽と見学するとヨーロッパの王家と同じように当時の権力の大きさを思い知らされます。

首里城1

今回のツアーのハイライト。
ご存じのように首里城は琉球王国のお城。
琉球王国は、1429年に成立したのだが、そのときには既に首里城はあったそうだ。

首里城は過去に4回もの破壊を受けており、現在の建物は18世紀のモデルで1992年に復元された。
だが、まだ復元は全て終わったわけでなく、現在も続いている。
 

首里城2


首里城といっても日本内地にあるお城とは趣が異なり、お城というよりもむしろ王家の居所、日本内地の御所に近いと感じました。
建物は日本より中国の影響をより多く受けており、琉球独特の建築様式を見ることができます。

 
龍譚


首里城の近くにある池。
1427年に中国で造園技術を学んできた役人が造ったという。


公設市場

那覇の国際通りにある市場。
一階部分は各種食材の商いが行われており、二階は私たち観光客を対象とした食堂がある。

沖縄独特の料理がリーズナブルな値段で食することができます。

もう一度行って食べたいなぁ。



旧海軍司令部壕


全長500m余の壕内は、穴を掘ったつるはしの跡や司令部室が残っており当時の様子をうかがわせる。

私ももし15年くらい早く生まれていたらこの壕内に潜み戦死していたかも知れない。


斎場御嶽

琉球王国の最高の礼拝場。

琉球王国時代は相当神聖な重要な場所であったらしい。

自然岩がなす三角形のトンネルは有名だが、私のように観光で訪れた者にはその有り難さは分からない。



平和記念公園


記念公園は昔激戦地であったという。

摩文仁の丘から眺める南東の海はそんな悲惨な出来事とは関係なく清く美しい。

平和の礎(いしじ)は終戦50周年を記念して建立されたが、今も新しい名前が刻まれている。


ひめゆりの塔


ひめゆりの塔は子供の頃から知っている有名なところ。

ところが
初めて見たこの塔はせいぜい高さが1m余位の小さな石。
それも当然でした。
この塔を建てたのは昭和21年にひめゆり学徒の父兄らの有志でした。

今はこの周りに立派な資料館や石碑があります。