定年後は楽しい「60プラス」
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東北(山形、福島等)7日間の旅

東北地方を「本州最北端:下北・津軽の旅」と「東北(宮城、岩手等)の旅」と今回の「東北(山形、福島等)の旅」で東北全県を見聞してきました。

令和2年10月4日から7日間、妻と一緒にマイカーで回ってきました。(走行距離1900km)


主な旅行日程

日にち 観    光    先
1日目 自宅→碓氷第三橋梁(めげね橋)→富岡製糸場→赤城温泉(泊)
2日目 赤城温泉→足尾銅山→大谷資料館→偕楽園→大洗(泊)
3日目 大洗→花貫渓谷→六角堂→福島第二原子力発電所→古関裕而記念館→福島・飯坂温泉(泊)
4日目 飯坂温泉→立石寺(山寺)→霞城公園→山形・かみのやま温泉(泊)
 5日目  かみのやま温泉→飯盛山・白虎隊記念館→鶴ヶ城→会津東山温泉(泊)
 6日目 会津東山温泉→ 大内宿→塔のへつり→湯沢温泉(泊)
 7日目  湯沢温泉→小布施→帰宅

コース (地図は自宅からめがね橋の間、小布施から自宅の間を除く)
1〜3日目 

めがね橋→第二原発
(右図、下から上に)
 
 3〜5日目

第二原発→鶴ヶ城
(右図、右から左に)
 
 5〜7日目

鶴ヶ城→小布施
(右図、上から下に)
 


大内宿では、気温11度で少し寒かったのですが、その他は旅行日和の天候でした。

今回の旅行で大きな出来事はgotoトラベルを利用できたことで、充分にその恩恵にあずかりました。。

最近つくづく思うのですが、ホテルの夕食の料理の仕方が昔と違う事に気が付きました。
かって在職中に社員旅行に行って提供された旅館の料理と比べて最近の料理は見たことのないようなおかずとか、初めて口にする味などがありました。

6泊しましたが、それぞれホテルの特長がでて飽きることはありませんでした。

コロナウイルスのせいか、それとも東北の繁華街でない為か、比較的人出は少なく、交通及びホテルも混雑することなく、お陰様でウイルス感染の恐れも殆どありませんでした。

コロナに対する宿泊施設の対応は、大きなホテル程厳しく、収容人数の少ないところは少し甘い感じがします。
これは、小さな宿では、もともと多くの人が来ないとの予想もあるからでしょうか。

観光先の写真

峠の釜めし

自宅から
碓氷第三橋梁(めがね橋)へ行く途中に横川サービスエリアがありました。

そこで、かって駅弁が盛んだった頃、有名であった「峠の釜めし」がありました。

予定外の昼食にめぐり逢い、早速注文しました。

今まで一度くらいしか食べていませんが、薄い味付けですが私の舌によく合いました。

めがね橋


碓氷川にかかる煉瓦造りの4連のアーチ型の橋。

1891〜1893年にかけて造られた。

汽車が急な坂道を登るためアプト式鉄道として使われた。

その後。1963年に信越本線が造られ電化が進むと廃線。

2007年にユネスコの世界遺産に登録された。

清閑な山の中にレンガで造られた橋は時代を経た重みを感じさせる。

初めて見る者にとっても、隆盛であった当時を彷彿させ、なんとなくノスタルジアを覚える

富岡製糸場


1872年(明治5年)に開業。

敷地全体が国の史跡になり、国宝及び重要文化財に指定されており、2014年に世界遺産に登録された。

この製糸場のお蔭で、その後の日本の絹産業が大きく成長し、絹製品が日本の輸出産業の大黒柱になったとは思いもしなかった。

製糸というと私には「女工哀史」が連想される。

しかし、見学中、目にしたものは、工女たちの労働環境は整備され、7曜制の導入、日曜日の休み、年始年末の休暇、1日8時間労働と、更に教育、医療なども配慮されていたという。

人道的であった事に感動。

写真は、レンガの外観と、建物内の様子、一番下の写真は、工女の寄宿舎。

赤城温泉ホテルの夕食

泊まったホテルは去年リフォームしたばかり。
その為、どこもかしこも綺麗。

ところが、立地している場所が、赤城山の山の中でとんでもないへき地。

比較的小さな宿だが、好感が持てた
          
足尾銅山

学校の遠足のように私はこういうところに関心があり、去年の東北旅行も尾去沢鉱山を見学している。

足尾銅山は、1610年(慶長15年)、鉱床が発見されたというから、400年の歴史がある。

今は、廃鉱になっているが、見学すると手掘りの時代から採掘が電化されていく遍歴が分かり、昔の人の苦労が思い知らされる。

先人の肉体の酷使を基に私たちの今日の生活が成り立ってきたかと思うと頭が下がる思い。

写真は、入口の様子、鉱山の中、一番下の写真は建物の入り口に飾ってある「寛永通宝」。

通貨は銅で造られているので、中で採掘する人は坑内から出るときに、身体検査をされていたという。

大谷石&資料館

大谷石といえば、古くは古墳時代の石棺に使われ始めて現在に至るが、
有名なところでは旧帝国ホテルの壁材に使われている。

それを採掘した後は巨大地下空間になり、映画「るろうの剣心」など、映画、CMのロケ地として使われたり、コンサートの会場にも利用されている。

中に入ると宇宙映画の世界にでも入ってような気分になる異次元空間である。

資料館は、その採掘跡の空間を利用している。

写真の中、上の2枚は地下空間、下の写真は、岩盤の外側と地下空間の入口。
         
偕楽園

偕楽園は後楽園、兼六園と並んで日本三名園の一つ。

偕楽園は、水戸藩第9代藩主 徳川斉昭の構想により、造園は長尾景虎(後の上杉謙信)と同じ家系の長尾景徳が実施したとの事。

夕方、偕楽園に着いた為、公園全体の僅かな部分しか見学できなかったが、水戸市が管理している事もあり、手入れは行き届いておりゴミも見当たらない。

三名園に入るにふさわしい。


初春にきて、梅が咲いている時くると、また感慨ひとしおだろうと思われる。

大洗のホテルの夕食

大洗とは、茨城県の海岸線のほぼ中央に位置し、太平洋に臨む港町。

大洗リゾートアウトレット、アクアワールド大洗などがあるが、今回見学する余裕はなかった。

料理はさすが漁港が近いので、刺身は絶品。

コロナの影響もあり、食堂にいるお客はお互いに離れて着座。

ホテルの名前が変わっています。「ホテル ニュー白亜紀」

近くに茨城県指定天然記念物「中生代白亜紀層」があるからだそうだ。

花貫渓谷

大洗から太平洋側を1時間程度北上する途中にある。

本来は秋の紅葉が綺麗なところ。

渓谷にかかる汐見滝吊り橋は、CMに使われたそうである。

五浦六角堂
(いづらろっかくどう)

六角堂は、北茨城市にある六角形の建築物。

明治時代に岡倉天心が思索の場所として自ら設計。

国の登録記念物に指定されており、「関東の松島」といわれる景観の優れたところに建っている。

岡倉天心は、明治時代に活躍をしており、東京美術学校(現:東京藝術大学)の設立に貢献し、その後、日本美術院を創設した。

写真は上から、六角堂、回りの景観、岡倉天心の銅像。

六角堂は、道路からかなり下り、水面に近いところに建っているので、案の定、2011年の東日本大震災の時、土台のみ残し後は無くなった。

現在あるのは、2012年に再建されたものとの事。
          
古関裕而記念館

記念館は福島市内にある。
NHKの朝ドラ「エール」で古関裕而は若い人にも認識されている。。

記念館の中は撮影禁止のため、写真はない。

建物は、2階建て、床面積200坪弱で余り大きくない。

陳列してあるのは、古関裕而が使った部屋、小物類や写真、それに彼が作曲した音楽のレコード盤。

室内は、彼の曲が流れている。

彼の曲に魅せられ、
記念館を出ても曲が頭の中をよぎる。

立石寺(山寺)

遠路はるばる仙台に近いこの山寺まで足を延ばした。

あとから調べて分かったのだが階段数が1015段もあった。

これを必死の思いで登る。

山寺は860年に開山したとされている。

山頂は五大堂があり、そこから周辺地域を見渡すと絶景が待っている。

途中に、納経堂、開山堂等の建物がある。

松尾芭蕉の「閑さや岩にしみいる蝉の声」で有名であり、私も、「日本の原風景と静寂」のひと時を過ごした。

霞城公園

山形市街地のほぼ中央にある山形城跡を整備した公園。
1356年に最上家初代が築城したと伝えられ、現在は堀と石垣が残っており、二の丸東大手門と本丸一文字門が復元されている。

昭和61年に国の史跡指定をうけ、平成18年には「日本100名城」に認定されている。

春には、1500本の桜が咲き誇るといわれている。

非常に、敷地内は整備され、ゴミ一つない状態。

もし、旅行中でなければ、愛犬「ローリー」をつれて毎日でも散歩に来たいところ。

最近当地に引っ越されて悠々自適の生活と思われる年配のご夫婦にお会いしたが、非常に親切にこのお城の説明をして頂いた。
それを思い出すとなんとなく心が和みます。
         
蔵王連峰を望むホテルの夕食

山形市の南20kmに位置する上山市にあるホテル。
40年間「旅館100選」に選ばれる。

客室毎に露天風呂があったが、利用せず私たちには勿体なかった。

夕食は、レストラン式の会食。

3段の重箱に前菜の料理があり、他は適時運んでくれる。

コースの後半に山形牛を使った料理がでてくるが、年配者にはもう腹が一杯であり、それでも健康を気にしながら柔らかい肉を口に運んだ。

飯盛山:白虎隊自刃の地

誰もが知っている白虎隊。

1868年に起きた戊辰戦争で会津藩は旧幕府勢力の中心とみなされ、新政府軍の敵軍となった。

白虎隊は、本来は予備兵力で340名程度であり、そのうち白虎隊士中二番隊37名が、戸の口原十六橋に向った。

その中の17名は無事、若松城(鶴ヶ城)に入城したが、20名は飯盛山で自刃をし、1名は蘇生した。

この歴史の中で自刃した原因が飯盛山から若松城周辺が燃えているのを見て、落城したと「誤認」したとされることを知ったが、

もし、これが本当ならば、自刃した若者の決意は何だったのだと思った。


蘇生した藩士はその後、電信技師となり、最後は仙台逓信管理局工務部長に就任し、正五位勲四等を受賞している。
         
鶴ヶ城

鶴ヶ城の始まりは、1384年といわれているが、当然、上記の戊辰戦争で損傷し、その後解体された。

現在のお城は本丸が1960年までに現在の形状に復元され、天守は1965年に鉄筋コンクリート造りにより、外観復興債権されたものである。

現在は若松市の所有となり、1934年(昭和9年)国の史跡に指定された。

敷地内を見学すると手入れが行き届いており、私たちが行った夜も庭園に灯などが設置され何か催し物があるようである。

このお城が市民の皆さんに愛されている事が分かる

1902年創業
会津若松の老舗旅館


かって伊藤博文や野口英世、会津藩士が宿泊したといわれる旅館。

100年以上も経っているが、綺麗に整備されている。
新しいホテルと比べ快適性、利便性には欠けるが、昔の旅館の情緒が漂う。

去年、銀山温泉に行ったが、その時味わった独特の日本古来の趣を思い出した。

旅館そのものの規模が前日の山形のホテルなどと違って小さいせいか、コロナ対策はなどは見劣りがする。

老舗旅館の夕食

宿泊費は今回の旅行で一番高いのだが、料理ははっきりいって一番お粗末だ。

但し、鯉の甘露煮は美味でした。

これはこの旅館の売りのようであって昔から提供されていたようだ。

上の写真の中で手前の真ん中より少し右にあるこげ茶色のものです。

直径10cm以上の輪切りの鯉の胴体。

当然食べ切れなかったので、(宿側の提案で)真空パックにして持ち帰ってきた。

多分、他のお客も同じでしょうからそのように用意されてるのだろう。
         
大内宿

会津若松市から車で南に40分位走った山間にある。

道幅が広く20m位あり左右に江戸時代を思わせる茅葺屋根の民家が並ぶ。
私たちが行ったのは金曜日の朝で、少し寒い日であったが、数十人の観光客がおり、民家の大半は家の道路側を開けて、お土産を売っている。

民芸品が多く、特にほしくなるものはないが、今回の旅行はGOTOトラベルが利用でき、そのクーポン券がある。

これを使い蜂蜜など、スーパーで買うより値打ちなものを買いました。

妻籠などと比べ、こちらは山間といえど、平地に家があること。道幅が広い事、屋根が茅葺である事、飲食店が少ない事を感じた。

春に行けば又のどかな気分に浸るかなと思いつつ帰途に着いた。

塔のへつり

大内宿から20分位南のところにある。

昔、海底にあった部分が隆起してきた所である。

海底にあるときに浸食と風化により、水平方向に縞模様ができているのが特徴。

1943年に可食地形の特異例として国の天然記念物に指定されている。

「へつり」とは会津の方言で断崖の事。

近くに土産屋とか地産の野菜販売、そば屋さんなどがあり、私たちもここで「鴨のそば」を昼食として食べました。
       
湯沢温泉のホテルの夕食

会津から直接帰宅するには、時間がかかりすぎることもあり、湯沢で一泊した。

夕食は部屋食ですが、これが就寝する部屋から少し離れた別の6畳の部屋に料理が用意してあった。

コロナの影響かどうかは分からないが、今までの旅行でこんなことはなかった

今回の旅行で夕食を6食頂きましたが、総じて満足しました。


小布施

車で長野市の北東30分位のところにある。

小布施は、葛飾北斎が83歳で初めて訪れ、それからここで活躍したとの事。

これが小布施の観光の中心になっており、北斎館などがある。

土曜日である事もあり、結構な人出で賑わっていた。

この町の売りは「栗」が一番でこれにリンゴ、ブドウ、ソバ。

栗は生の栗もあるが、これを使ったスイートがいろいろ揃っている。

街の中の構成からみて左程魅力を感じるものは少ないが、パンフレットが整備され、駐車場も完備されており、街が一生懸命になって活性化に努めているのがよく分かる。

旅を終えて

公共交通機関はコロナ感染の心配もあり、自宅から車で行く事とした。

7日間のドライブに心配があったので、一日の運転時間は5時間以内にし、宿のチェックインは5時までとし、無理をしないように計画をした。

東北は名神、東名と異なりそれほど混雑していない事、天気に恵まれた事もあり快適なドライブが楽しめた。

計画では、袋田の滝、磐梯山、五色沼、尾瀬沼なども予定していたが、距離があり時間もかかるので残念ながらパスをした。

今回の旅行は、コロナの為にgotoトラベルが利用でき、大雑把にいって総費用の三分の一が節約できた。

コロナで生活に支障があり、日夜苦しんでいる人がいる中、なんだか心苦しい気がする。
でも、利用したホテル、昼食をとったお店屋さんの売り上げに少しでも貢献できたのではと思っている。